海外で感じる孤独の真実

外務省が海外在住の日本人を対象に行った調査では、約45%の人が孤独を感じていると答えており、日本国内の約39.3%という割合を5.6ポイントほど上回っています。海外で孤独を感じることは、決して珍しいことではありません。そこには、単純な文化の違いだけでは片付けられない、人の根源的な欲求にまで遡る複雑なメカニズムがあります。

日本では、よく話し、自分の意見をはっきり言うタイプだと思われていたのに、海外に来て同じように振る舞っていても、「控えめな人」「なかなか本音を言わない人」と思われてしまう。

自分は何も変わっていないはずなのに、周りに映る自分がまるで別人のように感じられる。海外で生活している人の中には、そんな違和感を覚えたことがある人も多いのではないでしょうか。

この記事では、海外で感じる孤独について、その背景にある心理的なメカニズムをたどりながら、さらにその奥にある実存的な問いにまで目を向けていきます。

海外生活で孤独を感じる心理:人は、どこかに属していたい生き物

人間は、誰かとつながり、どこかに属することで安心感を得ようとする生き物です。

心理学者のバウマイスターとリアリーは、人間には他者との継続的で安定した関係を築き、集団に属したいという根本的な欲求があると提唱しました。私たちの祖先にとって、集団から離れることは生存の危機につながり得るものでした。だからこそ人は、誰かとのつながりや自分の居場所を求め、それを失いそうになると不安を感じるのです。

孤独研究で知られるジョン・カシオッポは、孤独感を空腹や喉の渇きにたとえました。お腹が空けば食べ物を探すように、孤独感もまた、人とのつながりが不足していることを知らせるサインだというのです。実際に、社会的な拒絶を経験したときには、身体的な痛みに関わる脳の領域も活動することが研究で示されています。

海外に移住すると言うことは、この居場所を一から作り直さなければならないと言うことです。言葉の壁、常識や文化の違い、新しい人間関係。安心して自分を出せる場所がなかなか見つからないとき、私たちは心だけでなく、身体のレベルでも大きなストレスを感じています。

海外移住ならではの辛さ:今までの「当たり前」が通用しない

日本で暮らしていたころに、努力して身につけてきた処世術や常識。それが、海外ではうまく通用しないことがあります。

どのくらい自己主張するか、どう断るか、どこまで踏み込んで話すか。日本ではあまり意識せずにできていたことを、一つひとつ学び直さなければなりません。それは、想像以上に疲れることです。

新しい環境に合わせようとするのは自然なことなのですが、周りに合わせることに力を使いすぎると、「本当の自分を出せていない」「どこか自分を演じているような気がする」という感覚が生まれることがあります。

精神分析家のウィニコットは、周囲の期待に過剰に適応することで形成される自己のあり方を「偽りの自己(false self)」という概念で説明しました。これは、周囲に適応すること自体が悪いという意味ではありません。環境に合わせることは、私たちが社会の中で生きていくために必要な働きでもあります。ただ、それが自分の感情や欲求を必要以上に抑制してしまう程強くなると、自分が本当は何を感じ、何を望んでいるのかが分かりにくくなり、生きている実感が薄れていくことがあります。

周りに合わせることはできているのに、なぜか自分の居場所がない。そんな感覚が、孤独をさらに深めていくこともあるのです。

海外移住によって環境という「鏡」が変わるとき

さらに戸惑うのは、今まで築いてきた自己イメージが、受け取る側の文化によって大きく変わってしまうことです。

私たちは、他者の反応を通して自分を知っていきます。精神分析では、他者のまなざしや反応を「鏡」のようなものとして捉えることがあります。赤ちゃんが養育者の表情やまなざしを通して自分の存在を感じ取っていくように、私たちも周りの人との関わりの中で、「自分はこういう人間だ」という感覚を育ててきました。

海外に出るということは、その鏡が大きく変わるということでもあります。日本では「よく話す人」だったのに、海外では「控えめな人」と受け取られる。反対に、日本ではマイナスに評価されていた特徴が、海外では肯定的に受け止められることもあります。たとえば、日本では「空気が読めない」と言われた率直さが、別の文化では「正直で信頼できる」と評価される、といったことです。

自分自身は変わっていないつもりでも、周りから返ってくる反応が変われば、自分についての感覚も揺らぎます。これまで当たり前だと思っていた自分の姿が通用しなくなったとき、自分がどんな人間なのか分からなくなったような感覚に陥るのも、無理のないことなのです。

人種差別?「自分自身」を見てもらえない寂しさ

また、海外で暮らしていると、生まれて初めて、人種や出身地によってラベルを貼られる経験をすることがあります。

「日本人だから」「アジア人だから」。悪意がなかったとしても、そうしたイメージが先に立ち、目の前にいる一人の人間としての自分を見てもらえていない、と感じることがあります。

相手が見ているのは自分自身ではなく、自分が属するとされる集団についてのイメージなのかもしれない。そう感じるとき、そこには単に誤解されること以上の寂しさがあります。

自分のことを知ってもらいたい。自分の言葉や行動の背景にある気持ちまで理解してほしい。けれども、相手が見ているのは、自分が思う自分とは違う姿なのかもしれない。

一人の人間として見てもらえないという感覚は、自分の存在そのものを受け止めてもらえないような、静かで深い孤独につながることがあります。

日本の友人にも、伝えきれない

孤独は、海外にいる間だけのものではありません。

日本にいる昔からの友人や家族と話していても、海外での経験や、自分の中で起きている変化をうまく伝えられないことがあります。

「海外生活、楽しそうでいいね」と言われると、つらさを話しにくくなる。説明しようとしても、海外に移住した経験のない人にはなかなか伝わらない。心配をかけたくなくて、つい「元気だよ」と言ってしまう。海外に被れていると思われたくなくて、ついつい本当のことが言えなくなる。そうして、日本の人たちとの間にも、少しずつ距離が生まれていきます。

海外では「よそから来た人」で、日本の友人には「遠くに行ってしまった人」。どちらにいても、自分の経験や気持ちをすべて理解してもらうことは難しい。そうした二重の孤独を抱えている人も少なくありません。

海外への移住は、喪失でもある

精神分析の分野では、移住に伴う経験を「喪失」と「喪の作業」という観点から考えることがあります。

海外に移るとき、私たちは多くのものを手放しています。母語で自由に話せる環境、築いてきた立場やキャリア、身近にいた人たち、そして「こういう自分」という慣れ親しんだ自己像。新しい生活への期待が大きいほど、失ったものには気づきにくいこともあります。

新しい環境に適応することに精一杯で、寂しさを感じる余裕すらないこともあるでしょう。けれども、ふとした瞬間に、以前なら当たり前にあったものが、もう手の届かないところにあると気づくことがあります。

失ったものを悲しむことは、後ろ向きなことではありません。何を失い、それが自分にとってどんな意味を持っていたのかを少しずつ理解していくことも、新しい生活に根を下ろしていくための大切な過程です。失ったものを無理に忘れようとしなくてもいい。過去の自分や大切な人たちとのつながりを心に持ちながら、新しい環境の中に自分の居場所を作っていくことはできるのです。

その奥にある、もっと根源的な孤独

海外にも、日本にも、自分の居場所を感じきれない。そう考えると、海外での孤独は、単に「気軽に話せる友達がほしい」ということだけではないのかもしれません。

慣れ親しんだ環境や言葉、常識がはがれ落ちたとき、私たちは今まで見えていなかった自分自身と向き合うことになります。

「自分とは、いったい何だったんだろう」
「結局、本当にわかってくれる人なんていないのではないか」

精神分析家のメラニー・クラインは、人が他者に完全に理解されたいと願うことと、そうした願いが満たされないことに伴う孤独について考察しました。私たちは、自分の気持ちや経験を誰かに理解してほしいと願います。できることなら、言葉にしきれない部分まで含めて、自分という存在をまるごと分かってほしい。けれども、どれほど親しい関係であっても、相手と自分が完全に同じ経験や感覚を持つことはできません。

つまり、この孤独は、海外にいるかどうかに関わらず、人が誰しも抱えている根源的なものなのかもしれません。日本にいたころは、なじみのある環境や人間関係に支えられて、その孤独が見えにくくなっていただけなのかもしれないのです。

海外生活は、そうした根源的な孤独に出会うきっかけになることがあります。

孤独を「なくす」のではなく、孤独との関係を変える

根源的な孤独は、解消する対象ではありません。どんなに親しい人とでも、すべてを分かり合うことはできないからです。

けれども、不思議なことに、「完全には分かり合えない」という感覚そのものを誰かと分かち合えたとき、孤独感が少し和らぐことがあります。一人で抱えていた感覚に言葉が与えられ、それを誰かに受け止めてもらえる。それだけで、孤独の質が変わることがあるのです。

ウィニコットは、「一人でいられる能力」は、誰かと一緒にいる経験を通して育まれると考えました。安心できる誰かの存在を心の中に感じられるようになったとき、人は一人でいても、心の支えを失わずにいられるようになります。一人でいられることは、誰にも頼らずに生きられるという意味ではありません。むしろ、誰かとのつながりを経験することによって、一人でいる時間も少しずつ安心して過ごせるようになるのです。

海外で揺らいだ自己イメージも、失われたわけではありません。日本にいたころの自分も、海外で新しく見えてきた自分も、どちらもあなたの一部です。環境が変わることで、今まで気づかなかった自分の側面が見えてくるかも知れません。揺らぎの中で見えてきた自分に、少しずつ好奇心を向けてみてください。

孤独を感じるのは、人とつながりたい、自分を理解してほしい願うごく自然な心の動きであり、また、自分自身と出会い直すチャンスでもあるのです。

自分の中のさまざまな部分とどう向き合うかについては、前回の記事「自分を知るということ −「本当の自分」はひとつじゃない」でも書いています。よければ、合わせて読んでみてください。

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