自分を知るということ ―「本当の自分」はひとつじゃない
「自分が本当に求めているものは何だろう」
「本来の自分を見失っている気がする。でも、そもそも『本来の自分』って何だろう?」
人生の中で、そんな疑問に直面することがあります。仕事や人間関係、環境の変化の中で、周りに順応することを優先しているうちに、自分が何を感じているのか、何を望んでいるのかが分からなくなることがあります。あるいは、以前とは違う自分になったように感じて、「どちらが本当の自分なのだろう」と戸惑うこともあるかもしれません。
けれど、「本当の自分」をひとつ見つけなければならない、という考え方そのものが、苦しみを生み出しているのかもしれません。
私たちの中には、さまざまな「自分」がいる
私たちは普段、自分自身をひとつのまとまった存在として感じています。けれど、少し振り返ってみると、場面によって違う自分がいることに気づくのではないでしょうか。
仕事をしているときの自分と、親しい友人といるときの自分。一人でいるときの自分と、恋人や家族といるときの自分。日本語を話しているときの自分と、外国語を話しているときの自分。どれも同じ人でありながら、感じ方や考え方、振る舞い方が少しずつ違うことがあります。
心理学においても、「自分」はひとつの固定されたものとして捉えられるわけではありません。生まれ持った気質やこれまでの経験、人との関係の中で身につけた考え方、親や周囲の人から受け取った価値観など、さまざまな要素が重なり合いながら、私たちの自己感覚は形づくられていきます。
たとえば、「人に迷惑をかけてはいけない」「ちゃんとしなければならない」「強くなければならない」といった考えも、もともと自分の中にあったものとは限りません。成長する中で大切な人から受け取った言葉や、周囲の期待に応えようとする中で身につけたものが、いつの間にか「自分の考え」として感じられるようになることがあります。
そして、その中には、ときに相反する気持ちもあります。誰かに大切にされたいと思う一方で、一人になりたいと思うこともある。安定した生活を望みながら、新しいことを始めたいと思うこともある。人とつながりたいのに、近づかれると距離を取りたくなることもある。
こうした矛盾は、必ずしも「自分がぶれている」ということではありません。人はもともと、多面的な存在だからです。ただ、そうした内的葛藤が、生きづらさにつながることもあります。
「自分らしさ」が、自分を縛ることもある
私たちは、自分自身について固定したイメージを作り上げることがあります。
「私は何をやってもうまくできない。だから挑戦は避ける」
「私は人見知りだ。だから出かけない」
「私は穏やかだ。だから怒らない」
「私は誰にも愛されない。だから従順になる」
こうした「私はこういう人間だ」という感覚は、自分を理解する助けにもなります。しかし、その自己イメージと相反する感情や欲求を否定し続けると、「自分らしくないもの」として排除してしまうことがあります。
本当は疲れているのに「私は大丈夫」と言い続ける。本当は怒っているのに「怒るのは自分らしくない」と感情を抑える。本当は挑戦してみたいのに「私はそういうタイプではない」と諦める。
そうしているうちに、自分の中にある一部の感情や欲求が見えにくくなり、「自分が何をしたいのか分からない」という感覚につながることがあります。
成長する過程で辛い経験をした場合には、さらに複雑になることがあります。ある感情や欲求を持つことが安全ではなかったり、受け入れてもらえなかったりすると、自分の一部を否定したり、切り離したりすることで適応していくことがあります。また、周囲の期待に応え続けるうちに、自分の気持ちよりも「相手が何を求めているか」を先に考えることが当たり前になることもあります。
こうしたパターンは、一度の出来事ではなく、日々の経験の積み重ねの中で少しずつ形づくられていきます。そのため、苦しさに気づいたときには、すでにそのパターンがあまりにも自然なものになっていることもあります。
環境が変わると、「違う自分」が現れる
特に、海外で暮らしている方は、環境によって自分の感覚が変わることを強く経験するかもしれません。
日本にいるときには自然にできていたことが、海外では難しく感じることもあります。一方で、日本ではできなかったことが、海外に来てからできるようになることもあります。日本語を話しているときと外国語を話しているときで、自分の性格や感情の表れ方が違うと感じる人もいます。
そんなとき、「どちらが本当の自分なのだろう」と考えてしまうかもしれません。
でも、どちらか一方が偽物というわけではありません。環境や相手が変わることで、私たちの中にある異なる側面が前に出てくるからです。そのどちらも、紛れもなく自分の一部です。
そして、「こんな自分もいるんだ」と気づくことは、自分をより深く知るきっかけになります。
自分を知るとは、「本当の自分」を探し当てることではない
「自分を知る」というと、どこかに隠れている「本当の自分」を見つけ出すようなイメージがあるかもしれません。
けれど、自分を知ることは、ひとつの答えを見つけることではありません。
「今、私は何を感じているのだろう」
「どうして、こんなに強く反応しているのだろう」
「この『こうしなければならない』という気持ちは、どこから来たのだろう」
「私は、どんなときに自然体でいられるのだろう」
そうした問いを通して、自分の中にあるさまざまな部分に気づいていくこと。そして、それぞれの部分とこれからどのように付き合っていきたいのかを考えていくこと。それが、自分を知るということなのかもしれません。
自分を知るための3つのヒント
1. 「モヤモヤ」に名前をつけてみる
「なんとなく苦しい」「なんだかイライラする」と感じたとき、その感情をもう少し細かく見てみましょう。それは寂しさでしょうか、悔しさでしょうか、不安や怒りでしょうか。それとも、「本当は分かってほしかった」という気持ちかもしれません。
さらに、その感情が身体のどこに表れているのかにも目を向けてみてください。胸が詰まる、肩に力が入る、呼吸が浅くなる。そうした身体の感覚も、自分の内側で起きていることを知る手がかりになります。
2. 「〜すべき」の声が誰のものか考えてみる
「ちゃんとしなければ」「迷惑をかけてはいけない」「もっと頑張らなければ」。私たちの中には、さまざまな「〜すべき」という声があります。
では、その声は、もともと誰のものだったのでしょうか。親や先生から言われた言葉かもしれません。育ってきた環境や文化の中で身についた価値観かもしれません。
大切なのは、「これは本当に、今の私が大切にしたいことなのだろうか」と一度立ち止まってみることです。
3. 場面ごとの「自分」を観察してみる
職場にいる自分、家族といる自分、友人といる自分、恋人といる自分、一人でいる自分。そして、日本語を話している自分と外国語を話している自分。それぞれの場面で、どんな自分が現れるでしょうか。
どんなときに安心していますか。どんなときに無理をしていますか。どんな相手の前では、自分の気持ちを自然に表現できますか。
どれが「本物の自分」なのかを決める必要はありません。違いに気づくことそのものが、自分を知るための手がかりになります。
自分を知ることは、自分を責めることではない
自分自身を見つめ始めると、「どうして私はこんなことをしてしまうのだろう」「もっとこうならなければ」と、自分を責めたくなることがあります。
でも、自分を知ることの目的は、自分の欠点を見つけることではありません。
今、苦しみの原因になっている反応や考え方には、それが身についた理由があるのかもしれません。かつては、それによって自分を守ることができたのかもしれません。人との関係を維持するために必要だったのかもしれません。
だからこそ、まずは変えようとする前に、「なぜ私はこうなったのだろう」と理解してみる。理解することで、これまで自動的に繰り返していた反応を、少し違った角度から見ることができるようになります。そして、その先に、「これからはどうしたいのだろう」と考える余地が生まれます。
カウンセリングは、自分を映す安全な鏡にもなる
自分のことは、自分では意外と見えにくいものです。特に、長い時間をかけて身についた考え方や人との関わり方は、あまりにも当たり前になっているため、自分では「なぜそうしているのか」に気づけないことがあります。
カウンセリングでは、安心できる関係の中で、自分の言葉や感情、身体の反応、人との関係の中で繰り返されるパターンなどを一緒に見ていきます。
カウンセラーが「あなたはこういう人です」と答えを決めるのではありません。話しているうちに出てくる言葉や感情、繰り返されるパターンを一緒に眺めながら、「自分では気づかなかった自分」に少しずつ気づいていく。
その意味で、カウンセリングは自分を映す「安全な鏡」のような役割を持つことがあります。
自己と向き合うー終わりのない旅
自分を知ることに、終わりはありません。私たちは、これからもさまざまな経験をし、人と出会い、環境が変わるたびに、新しい自分の側面に出会っていきます。
だから、「本当の自分はどれなのだろう」と、ひとつに決める必要はありません。
今の自分は何を感じているのか。自分の中には、どんな部分があるのか。その中で、これからどんな自分でありたいのか。
そんなことを少しずつ知っていく。
自分を知ることは、自分をひとつの形に固定することではありません。これまでの自分を理解しながら、今ここにいる自分と出会い直していくこと。そして、さまざまな自己の要素を受け入れながら、自分自身との関係を少しずつ調整していくことなのです。
「本当の自分」をひとつに決めなくてもいい。
そのことに気づくこともまた、自分を知るための一歩なのかもしれません。